とっきーな人生

初めましてとっきーです。それなりに変わった人生送っています。そんな人生書いてます。

知的障害者がいる家族の現実

これは今まで書くのを躊躇していましたが、これを書くことによって、より知的障害者との関わりを伝えることができ、当事者の方々のためになるのではないかと思い、書きました。
このことは実際に知的障害者と長年暮らしてみないとわからないことでもあります。
逆の立場なら僕もそうです。

知的障害者と暮らすということ必ずどうしようもできないときがきて叩いたりすることがあります。
いけないことですが、口では理解できず、意味不明な言動をとり、僕の行動を妨げます。
長くてそれが1時間以上続きます。
自分がどんな状態であろうと関係ありません。
しかも男なので力もあります。
知的障害者の人は底力があります。
必死に自分がしたいことにこだわり底力を出すんです。
それが叶わないのです。
叶ってもまたこだわります。
そのループです。
耐えられますかこれが。
僕は少なくとも数十回はその意味不明なこだわりに付き合わされました。
今日は目に入った食べ物を独り占めしないと気がすまなかったみたいで、力では叶わないので、仕方なくあげました。
1回ならまだしも、それが4回続きました。
しかも暴食・悪食があり、台所のドアにカギをかけましたが、カギをかけても延々と開けろと訴えてきます。
開けないとずっと服を引っ張ってきます。
じゃあ開けるしかないじゃないですか。
口で言っても理解できませんから。
今日は一番ひどかったです。
目に入ったものはなんとしても独り占めしないと気がすまなかったんだと思います。
家族みんなで分けようとしたものです。
向こうはいいです。
時間が妨げられることによって何か問題になることがありません。
こちらには仕事があります。 
そのために今日はいろいろとしないといけないことがありました。
それができなくなったり遅れたりしました。
その意味不明なこだわりのためにです。
腹立ちます。
たぶんこれで腹立たずに冷静に対処できる人いないじゃないんでしょうか。
自分がどんな状況でも関係ないんですよ。
思います。
自分の家族が障害者かそうじゃないかでここまで人生変わるんです。
なぜこうなったのか。
なぜ人間はこうもなるのか。
なぜ自分の家族がこんな思いをしないといけないのか。
本当に人生運なのか。
仕事なら別です。
僕は叩いた直後に仕事に行った日もあります。
しかも知的障害者の方々が通所する生活介護事業所です。
生活支援員していました。
しかしそこでは知的障害者の方々に対し、叩いたりはもちろん、イライラはしませんでした。
なぜか、簡単です。
お金と一定の時間の関わりだからです。 
それがあるかないかで変わるんだと思います、人は。
仮に知的障害者の家族と暮らすことに対して国からお金を頂いているだけで、ストレスは変わります。
家族ですからもちろんそれはなく、家に帰れば必ずいるので、一緒に過ごす時間も仕事よりも倍以上になります。
いくら家族でも関係ないんです。
自分の大切な時間が意味不明なこだわりでなくなるのは生きていく上で致命的なことなんです。
そんなことをするのが家族でも、正直一緒にいたくないんです。
防衛本能に近いんでしょうか。
だから叩くんですよ。
自分を守るために。
叩けばわかってくれるんです。
仕方ないんです。
僕だって辛いんです。
叩きたくはなんかないです。
今も眠れないぐらい落ち込んでいます。
ですがこうするしかなかったんだと割りきっている部分もあります。
向こうは肉体的に傷つけられました。
僕によって。
ですが、向こうによって僕の心が傷つけられました。
ではお互い様で済んでほしいです。
神様もわかってほしいです。
知的障害者と暮らすって綺麗事はないんです。
怒っている自分はみじめです。
ですが自分を守るための攻撃でもあるんです。
知的障害者に限らず、悪いことをして親に叩かれたりした方もいらっしゃると思いますが、それと一緒なんです。
今回のことはこだわりとはいえいけないことなんです。
口で言っても理解できない。
なら時には体で覚えてもらうのも有効なときもあるんです。
もちろん急所ははずしています。
結果そうするしかないんです。