人間関係に悩み続けている僕が人間というものを語る1
このテーマはいろんな人の話を聞いてみたいです。
人間というものはまず卵子と精子で決まる部分があると思います。
そこから始まると思うからです。
この手の話は専門家が良いかも知れませんが。
遺伝子に関係しますでしょうか。
遺伝子って何パーセントは必ずと言っていいほど引き継ぐと思います。
その卵子と精子って人間として生まれた時点からいかに次世代のために良い状態で維持するかが課題であると思います。
いかにできる限り良い状態で次世代をつくっていけたかでその次世代の人が良く生きれるかだと思います。
ではできる限り良い状態とは。
僕が言えたことではありませんが、食やストレスでしょうか。
いやこんな簡単に済ませたら失礼ですね。
当事者の方が詳しいかもしれませんが。
食は天然なものを摂取することでしょうか。
出来合いなものは頼らず、野菜・魚、肉は少々ですかね。
書いといてですが。
大変ですが、食生活に気を遣うことでしょうか。
想像しただけでストレスが・・・。
これって産む側の女性側がストレス大きいですよね。
ストレスなしは無理ですよね。
では周りがいかに協力してあげられるかでしょうか。
そうやって1日1日支え合って母体の中で育っていくのかと思います。
半年以上でしょうか、そうやって育っていき、晴れて様々な痛みや苦しみの中から生まれてくるのが次世代の人生の始まりでしょうか。
しかし、人生っていつなんどきも予想通りにはいかない。
それはどんな時でも起こりうることで、多くの人からの支えや1日1日の試行錯誤や苦悩を経ても生まれない、死んでしまうという運命もあります。
それだけ生命の誕生というものは男の僕からは想像を絶する苦悩や重圧が女性側にあると思います。
ここまででいつくか僕は思いました。
○そこまで苦悩や多くの人に支えられてきたにも関わらず虐待があるのか。
○出産に関しては女性側の負担が大きすぎる。
○生まれてこれただけで奇跡なんじゃないか。なのに人生はつらい。
上記のことです。
虐待ですが、もじかして本心ではないかもしれません。
結果は結果ですが、本当の虐待はしたくはなかったはずだと思います。
しかし、人間は自分が苦労して生まれた家族でも自分の人生が危なくなると、やってしまうんじゃないかとおもいます。
僕が語ることではありませんが、子ども育てるって人生で一番大変だと思います。
ましてや今なんて皆社会情勢が関係しているのかいろいろと形はできていても他人を支える余裕がない気がします。
僕もその1人です。
こんなん書いているなら動けよ。
もう1人の自分が語りかけています。
ごもっともです。
しかし、前にも書きましたがネットでも動いたことにはならないでしょうか。
少なくとも僕はネットでご活躍している人が何人か励みとなっています。
その人は多くの人に評価を受けています。
そこで一時期はネットでは意味がないと思いましたが、改めて意味があるんだと思い、再度このブログを始め、落ち着いたらまた求職活動をしたり現実での人付き合いをしたり、このブログを動画にしたりしたいと思っています。
話を戻しまして、虐待に関しては社会情勢からくる周囲の余裕なさからくる当事者の孤立や金銭的な困窮から育てられる自信がなくなったり、多くの人からさせられて、苦労して生まれた家族さえもあやめるということになるのかと思います。
この手のことは結果は結果でも親側を一方的に否定できないんですね。
理由は物事の感じ方捉え方は人それぞれであり、自分が同じ立場ならどうなるかわからないからです。
状況次第で変わってしまうのが人間のもろさだと思います。
どんな人も状況次第で変わると僕は思います。
そこが人間であることに対して僕が悩む部分です。
それも込みで人間関係を僕はつくっていますね。
次の出産が女性側の負担が大きいというのは、何んともできないことですが、語るだけ語りました。
この時点で子どもに対する感じ方に性差があると思います。
子どもに対する思いは実際に苦労して産んだ女性が圧倒的にあると思います。
だとしたら、だからこそ、その思いが強いがゆえに母親による虐待があると思いました。
それを防ぐには男性側の理解が大きいのではないかと思います。
なぜ人間をつくった者は女性にだけ出産という苦しみを与えたのかと思います。
もともと人類って最初は女性しかいなかったと聞いたことがあります。
生まれるときも最初は皆女性の染色体になっているらしいですね。
それが傷ついて男性の染色体ができるのですね。
女って脳のつくりの関係で、育てるということに必要な観察力と忍耐力と気持ちが強いから、産むのは女性になったのでしょうか。
生まれてこれただけで奇跡なんじゃないか。なのに人生はつらい。
このことは誰もが感じることだと思います。
人生って歳重ねることに苦労するんですよね。
ここで冒頭の遺伝子のことが関係しているのではないでしょうか。
苦労があっても遺伝子、それを構成するものが良ければそれだけよい人間になる。
それには格差があると思います。
その格差によって苦労度は変わるんじゃないかと思います。
成長すると様々なことを経験し、多くの人と関わっていき、その課程で格差を感じてしまい、悔しさや劣等感を感じ、それが生きづらさになってくるからではないかと思います。
以上が生命の誕生について思ったことに対することです
雑な言い方かもしれませんが、人生は運じゃないかと思います。
人生において誕生としてからの人間関係って大きいと思います。
まず親を選べませんね。
その親によって子ども時代は決まると思います。
親次第で生きていけるかいけないかじゃないかと思います。
僕だって運が良かったからここまで生きてこれただけだと思います。
親次第では自殺していたかもしれませんし、どうなっていたかわかりません。
酷ですがこれが現実だと最近のニュースを見て思うのです。
なのでいろいろありますが、今のところここまで生きれたことには感謝しています。
ここも僕が人間について悩むところです。
親だって他人です。
他人だからなんでもいざとなればしてしまうのかもしれません。
しかし、あかの他人とは違うなんと言いますか、自分が素でいられる特別な存在であると言いますか。
外では素でいるのは中々困難ではないでしょうか。
それって生きづらいことの1つだと思います。
親はあと家族ですか、それは自分が素でいられる場所だと思います。
親は家族はまず自分の人生のレールが決まる第1関門かもしれません。
次に人間関係ですね。
人間関係本人がどんな人に関心が向くのか、その場その場の環境が大きいと思いますね。
また、親や家族、周囲の人が本人に合った人間関係が築ける場所を早い段階で見つけてあげるのが大事かと思います。
最初は運かもしれませんね。
やっぱり人生何時もそうかもしれませんが、まずは行ってみないとわかりませんから。
そこで見極めてたらいいいのかと思います。
子どもの時代は人格や能力の形成において1番大切な部分であると聞いたことがあります。
そこでうまく進めば本人の今後の人生が良くなると思います。
親や家族、周囲の人は本人に助言はしても第1に本人の意思を尊重するのがいいのかと思います。
ここも専門家の方が詳しいと思いますが、語りました。
で、干渉しないときはせず、するべきところではするのかと思います。
基本自由でいいとは思いますが、まずは経験してみてどうだった?と聞いたり、できたらほめて、できていなかったらどうしたらできるかを考える機会をあげたりして前向きに自発的に考えて動ける力を付けてもらうのがいいのかと思います。
もしいけいないことをしてしまったら、わかりやすくいけないんだということを説明してできたら本人にも体験してもらってもいいのかと思います。
よっぽど常識をはみ出していないのなら何でも経験させてあげるのが大切だと思います。
否定はせず、本人の気持ちになって、気持ちを分かち合うことが大切かと思います。
続きます。