子どもは横断歩道で手を上げているのに大人は手を上げないのが不思議。
日常でこう言ったこと目にしませんか?
矛盾ですよね。
なんで教えたのかと思います。
自分はしないのに。
僕は子どもに「横断歩道で手を上げて」なんて言ったこともありません。
そうやって棚に上げるのが1番嫌なんです。
今の学校もそんな気がします。
今だから思うのですが、早朝の仕事明けで丁度目の前が中学校で、体育の授業を目にします。
「この中に先生の言ったことをどのくらい質問する生徒がいるか。」
「先生はなぜこの授業を行うかを説明しているのか。」
ということを思います。
なぜこれをするのかを教えていないと子どもはただしているだけになってしまうと思います。
これは僕の視点なので、既にこのことが間違いでしたらお詫び申し上げます。
それかこのことが本当であれば、先生は生徒に説明していても、生徒が理解できないとか。
わかりやすく教えるって難しいと思います。
僕もこの間子どもと卓球していたとき、「効率よくしていこうね。」と言いましたが、「効率って言葉まだわからないかもしれないな。」と思いました。
どうしても大人の言葉が出てしまいます。
子どもは従順かもしれません。
大人以上に。
言われたこと素直に聞きますから。
なので、そこで大人が子どもだけなぜ横断歩道で手を上げるのかを具体的にかつわかりやすく教える必要があると思います。
ただ手をはーいと言ってあげているだけでは要注意だと思います。
逆に言えば、正しく伝えれば子どもほど成長してくれる人はいないんじゃないかと思います。
かといって、英才教育詰め込みすぎると本来の人間性を失うことになるので、そこも要注意ですが。
大人って熱心な人によくあるかもしれませんが、自分では思っていなくても、自分の理想を押し付けてしまうことがある気がします。
僕もしていたかもしれません。
言い方を気を付けています。
やってもらって、「どうしたい?」「ならどうしたらできると思う?」と思い、どれだけ良い方向でできるかを見て、それで足りないところは、「こうしてみたら?」とヒントをあげて成功へとつなげるように声かけしていました。
偉そうなことかもしれません。
僕は教育関係はもちろん、子どもとも普段は全く関わりません。
何よりもこのことが正しいかなんてわかりません。
そこが難しいと思います。
教育も含めたコミュニケーションって答えがないんですね。
自信ない時ないですか?
「言ったことが本当に正しいのか?」と思ったりしませんか。
そういうこと思うと、指導する人はすごい葛藤と戦っているのかと思います。
大役ですもんね。
相手の人生に関わりますから。
すみません、僕結構大げさに考えてしまいます。
そんなこと言いましたら、僕の仕事も命にかかわる仕事ですけど。
教育とかにおいて、将来成長に必要なことを正しい方向に進めて行けるように必要なことを伝えていき、横断歩道のような矛盾はもしかしたら必要ないのかと僕は思い、書きました。