とっきーな人生

初めましてとっきーです。それなりに変わった人生送っています。そんな人生書いてます。

戦争の記念日に思うこと

今月、8月には2つの記念日があります。
1つ6日の広島に原発が投下された日、もう1つは長崎に原発が投下された日ですね。
この2つの日に僕が思うことがあります。
「今の自分が幸せなぐらい経験した人は辛く苦しい思いをされた」「戦争を経験していない自分がこの出来事に対してどう向き合って生きていくか」です。
身体的なことはもちろん、その後の後遺症に一生悩ませて続けられ、いつ亡くなるかもわからず、死とも隣り合わせであり、その影響で、精神的にも一生ものの傷も負ってしまい、今で言う精神疾患も抱えることがあります。
戦後そういった経験をされて心身に後遺症や傷を負った人の日常で、いかに今が幸せかと思っているかもしれません。
戦争がありませんから。
しかし、原発による影響を受けられた人達は、放射能を受けられており、放射能は移るんですね、なので、周りから非難されてしまうんです。
せっかく想像もつかないような苦労や苦しみの果てに生きのびたのにこのことが待っているんです。
この場合、僕が仮にそういった人たちに出会ったとしたら、健康上やむおえず避難してしまいます。
これは避難する側も心ぐるしかったでしょう。
ですが一番苦しいのは当事者ですが。
亡くなられた人たち、被害を受けられた人達は、何と思っていたのでしょうか、「なんでこうなるんだ、こっちは何もしていないのに」、「こんな世の中に生まれず、平和な時代に産まれたかった」、「アメリカなんて消えてしまえ」と怒りや悲しみ、苦しみのような感情が入り混じった心境であったのでしょうか。
平常心ではなかったのは確かでしょうか。
人間って生まれる時代を選べないから不平等であると感じます。
しかしもしかしたら僕が亡くなった人たちの生まれ変わりな可能性もあるとしましたら、今まで書いた記事のようないい加減な人生を歩んでしまい、申し訳ありません。
第2の人生というものがあるとしましたら、亡くなった人たちに第2の人生があれば良いとおもいます。
これからどうなるかわかりませんが、今も別の意味では良い世の中ではないですが、普通に生きれますので。
もしかしたら、戦争は起こる可能性はありますが、便利で医学も飛躍的に進歩していますので、負傷を負っても当時のよりは少なくとも悲惨にはならないとおもいます。
感謝を忘れてはいけないですね。
今こうしていられるのは、当事者の方々がいたからこそです。
言ってしまえば、その人たちが犠牲となり、僕らがこうして生きていられるのではないのかとおもいます。
それを考えますと、いかに自分が楽してきたかと思い、恥ずかしくもなります。
今も辛いことは数多く別の意味ではあります。
しかし、命にかかわることはありません。
ですか、情けない話だからと言ってじゃあなんでもでるかとなるとまた別問題となります。
それも僕の中では申し訳ないです。
どう生きていけばいいのかどう向きあっていけばよいのか、戦争・犠牲者・被災者ということになると考えます。
1つ思うのは、生き続けることだとそれは言えます。
失礼だと思うからです、亡くなられた被災者の方々にです。
仮に第2の人生があり、前世が戦争の被災者であった人が自分の目の前で話をしていまして、死にたいとか言ってしまうとどうでしょう、失礼な気が僕はします。
しかし、今は自殺があります。
総数では被災して亡くなられた方々よりも自殺者の方が多い可能性があります。
終戦をしまして、世の中が不景気となってしまい、自殺しざるを得ない人たちが出てきました。
もしかしたら僕もその1人なる可能性も十分にあります。
これは比べることではありませんが。
そういうこととなると、形は違えど今も戦争かもしれません。
仮にそうであったとしましても、戦争みたいに一方的に関係のない人達に危害を加えるのは二度と起きてほしくないです。
これかた世の中は混沌となるとはおもいますが、平和であってほしいです。